十五夜
天気予報jは曇りであったが、満月を見る事が出来た。多分今日のブログには、沢山の方が月を載せられておいでの事と思う。

あかあかと宝珠のごとき月のぼる 角川春樹
ある僧の月を待たずに帰りけり 正岡子規
はなやぎて月の面にかかる雲 高浜虚子
立待の月こそ愛でよと法師かな 鸚哥子
満月も美しいが、吉田兼好は何でも斜に物を見るのが好きだったようで、[徒然草」の137段で以下のように書いている。
花は盛りに、月は隈なきを見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方、なお、あわれに情深し。
尤もこの御仁は、「命長ければ恥多し、四十路に足らぬほどにて死なむこそめやすかるべけれ」等と書きながら自分は56歳まで生きたから、真に受けることは出来ない(笑)。
ところで、これをもじって、【立待の月こそ愛でよと法師かな】と詠んでみたが、果たしてこれが俳句と呼べるものかどうかは知らない。
なんせ、俳句を初めてから、まだ2年もたたないので、全くの素人だ。良いも悪いも判らないので、この句を10月の句会に出して、先輩方の意見を聞いてみようと思う。
この話は、樋口一葉ももじって「たけくらべ」の中で、次のように書いている。
「花は盛りに、月は隈無きをのみ見るものかは、いでやその散りがたの木陰こそおかしからめ」と言えば、双ヶ岡の法師のまねびにやと妹なる人はうち笑みぬ。記憶に頼って書いているので、誤りがあったらごめんなさい。

ところで、愛猫どらちゃんは、明日は去勢に行こうと思う。それを知ってか知らずか、私をにらんでいるように見える(笑)。